「営業部は『売るために在庫を積め』と言い、工場側は『過剰在庫は悪だ』と主張する」 「新事業部が社内競合(カニバリゼーション)を恐れずに新商品を売り出そうとし、既存事業部が『うちの顧客を奪うな』と猛反発する」
バックオフィスのマネジメント層であれば、こうした部門間の「正義と正義のぶつかり合い(コンフリクト)」の調整に、一度は頭を悩ませたことがあるのではないでしょうか。
それぞれの言い分に一理あるからこそ、感情論や声の大きさ、あるいは社内の政治力で決着がついてしまい、組織に禍根が残る……。そんな膠着状態をブレイルスルーする武器として、実はROIC(投下資本利益率)は非常に強力な「共通の物差し」になります。
今回は、単なる財務指標を超えた、「組織のコンフリクトやカニバリゼーションを交通整理するためのコミュニケーションツールとしてのROIC」の可能性について、実務の視点から紐解いてみます。
なぜ、従来の「PL(利益)管理」だと対立が激化するのか?
これまでの損益計算書(PL)を中心とした業績管理では、部門間のコンフリクトは構造的に解決しにくい性質を持っていました。なぜなら、PLという物差しは「その売上や利益を作るために、どれだけの資本を拘束しているか」というBS(貸借対照表)の視点や、「全社最適」の視点を評価しにくいからです。
特にその弊害がむき出しになるのが、自社製品同士が市場で競合してしまう「カニバリゼーション」の問題です。
新事業部が「最先端の新商品を投入して、一気に市場を開拓します!」とPLベースの売上計画を持ってきても、既存事業部からすれば「その売上の半分は、うちの既存商品の顧客が流れるだけだ。全社で見たらプラスにならないどころか、既存の利益を削るだけだ」と猛反発が起きます。
お互いが「自部署のPLを良くしよう」と戦っているため、議論は平行線をたどり、最後は「社内政治の力関係」でどちらかが押し切られることになります。これでは現場に深い不満が残ってしまいます。
ROICがもたらす「感情論を配した、ロジカルな着地点」
ここに「ROIC」という新しい物差しを持ち込むと、議論のステージが「感情論」から「全社最適のシミュレーション」へとガラリと変わります。
ROIC = 税引後営業利益(PL) ÷ 投下資本(BS)
カニバリゼーションの対立に対して、経理責任者がファシリテーターとなり、この数式をベースに以下のような「真の増分」を可視化します。
カニバリ発生時の対話のイメージ
「新事業部長、今回の新商品投入で立ち上がる利益は確かに大きいですが、既存事業からシフトする分(カニバリ分)を差し引いた、**会社全体の『純増利益(NOPAT)』**はいくらになりますか?
そして既存事業部長、新商品に顧客が流れることで、既存の製造ライン(固定資産)や倉庫の在庫(運転資本)をどれくらい減らして、『投下資本(BS)』をスリム化できますか?
これらを全社のROICツリーに当てはめて計算してみましょう。もし、新商品用の新しい設備投資(分母の増加)に対して、全社の純増利益(分子の増加)が上回る、あるいは既存の資本をうまく使い回して分母を抑えられるなら、全社のROICは向上するので、このカニバリは『恐れるべきではない、健全な新陳代謝』だと判断できます」
このように、単に「売上が減る・増える」のPL論争ではなく、「新旧の投資(BS)と全社利益(PL)を天秤にかけたとき、会社全体の資本効率(ROIC)は上がるのか、下がるのか」という客観的なデータに落とし込むことで、両者が同じ土俵で納得のいく着地点を探れるようになります。
「在庫の対立」や「予算のおねだり合戦」にも一貫した基準を
この物差しは、冒頭に挙げた「営業部(在庫を持て)」と「製造部(在庫を減らせ)」のクラシックな対立や、各事業部による「設備投資の予算争奪戦」でも全く同じように機能します。
- 在庫の対立: 「在庫を3,000万円増やして得られる利益」よりも、「お金が倉庫に寝ることで下がる資本効率(分母の肥大化)」の影響の方が大きければ、ROICは下がります。数字で示されれば、営業側も「ただ在庫を積めばいいわけではない」と納得し、「売れ筋だけを厚く持つ」といった建設的な代替案へシフトできます。
- 投資の要望: 「役員にお気に入りの事業部だから予算が通った」という不信感を無くすため、会社全体のWACC(資本コスト・お金のレンタル料)をハードルレートとして一貫して使います。「この投資案は、我が社のWACC(例:5%)を上回るROIC(例:8%)を叩き出せるロジックがあるか」でフェアに審査します。
まとめ:経理は「ルールの翻訳者」であり「レフェリー」
ROICを組織に導入する本当の価値は、計算が正確にできることではありません。
バラバラの方向を向いて自部署の正義を主張していた人たちに、「全社最適という、全員が従うべき一貫したゲームのルール(共通言語)」を提供できることにあります。
カニバリゼーションも、在庫の奪い合いも、投資の引っ張り合いも、すべては「共通の物差し」がないからこそ起きる不毛な衝突です。私たちバックオフィスの役割は、そのルールを現場に分かりやすく翻訳し、客観的なデータを示すレフェリー(あるいは伴走者)として、社内の健全なコンフリクトを交通整理していくことです。
数字という強力なファクトを使って、組織の風通しを良くし、建設的な議論に変えていく。そう考えると、管理会計や財務戦略という仕事の持つ影響力は、本当に大きくて面白いなと感じています。
